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日々の考察。

最強の殺し屋は、恐妻家【AX】

最強の殺し屋は恐妻家、、、

その殺し屋は果たして本当に最強なのだろうか。

いやもしかして、それって本当に最強なのは、その「恐い妻」なのでは?

誰もがそう思わずにはいられないコピーがついた作品こそ、伊坂幸太郎の殺し屋シリーズ最新作「AX」である。

AX アックス

AX アックス

殺し屋と家族愛が同居するユーモア

「兜」は超一流の殺し屋だが、家では妻に頭が上がらない。一人息子の克己もあきれるほどだ。 兜がこの仕事を辞めたい、と考えはじめたのは、克己が生まれた頃だった。 引退に必要な金を稼ぐため、仕方なく仕事を続けていたある日、爆弾職人を軽々と始末した兜は、意外な人物から襲撃を受ける。 こんな物騒な仕事をしていることは、家族はもちろん、知らない。

殺し屋という、人の命を奪う物騒で、非日常な職業に身をおいている人間が、

家族という、ごくごく平凡かつ日常的なコミュニティで、安穏とした生活を送っている。

そんな一見相反しているようなテーマを、一つの作品で、絶妙なバランス感覚で繰り広げていくことによって、不思議さと、素晴らしいユーモアを生み出している。

王道な伊坂作品

伊坂幸太郎の作品を読んだことがある人には伝わると思うが、登場人物に、淡白というか、浮世離れしているというか、とにかく少しだけ「違和感」のあるキャラクターが出て来ることが多い。

本作の主人公である「兜」もそのようなタイプのキャラクターであり、基本的には普通の人っぽいのだが、たまに会話の中で「そんな考え方するのか」みたいな意見が出てくる。

そこが伊坂幸太郎の特徴であるユーモアさを生み出している。

そういった意味でも本作は、過去作と比べても王道寄りな仕上がりになっている。

殺し屋が王道というのもおかしな話だが。笑

また、殺し屋シリーズである「グラスホッパー」「マリアビートル」につづいて、本作でも躍動感のあるアクションシーンは健在だ。

ただ、これまでの作品に比べてバトル・アクション要素は控えめになっているので、それを目的に読み始めてしまうと少し物足りなさを感じてしまうかもしれない。

お気に入りのシーン

作中で気に入っているシーンをいくつか抜粋させていただく。

ネタバレになるような箇所は省いているつもりだが、楽しみにしている人は目を通さないでいたほうがいいかもしれない。

「最終的に行き着くのは、ソーセージなんだ。魚肉ソーセージ。あれは、音もならなければ、日持ちもする。腹にもたまる。ベストな選択だ」 「時々深夜のコンビニで、いかにも俺と同じような、仕事帰りの父親が、おにぎりやらバナナを買っていこうとするけれどな、それを見るといつも、まだまだだな、と感じずにはいられないんだ。」兜は続ける。「最後に行き着くのは、魚肉ソーセージだ」

深夜の食事で妻を起こさないように気をつける。恐妻家節のきいたシーン。

「蟷螂の斧って言葉を知ってるか」 「弱いにもかかわらず、必死に立ち向かう姿を、蟷螂の斧という」 「どちらかといえば、はかない抵抗という意味だ。」 「ただ、カマキリの斧を甘く見てるなよ、と俺は思うけどな」

タイトルである「斧」について触れる部分。

妻に限らず女性は、いや人間、というべきかもしれないが、とかく、「裏メッセージ」に敏感だ。 相手の発した言葉の裏には、別の思惑、嫌味や批判、依頼が込められているのではないか、と推察し、受け止める。 おそらく、言葉が最大のコミュニケーション方法となった人間ならではの、生き残るための能力の1つなのだろう。 困るのは、こちらが裏メッセージなど全く込めていないにも関わらず、嫌味や当てこすりだと解釈されることだ。たまったものではない。 そして兜の妻は、表しかないメッセージに裏を見つける天才だった。

伊坂幸太郎らしい、物事の本質に迫るメッセージの提示。そして、一言一言が妻の癇に障るかもしれないことに兜が気をつけているのがわかる。笑

一方が自尊心を削られても抵抗できないほど、怯えているにもかかわらず、もう一方が、自分たちは安全地帯にいる、と平然としている。 珍しい光景ではない。世の仕組み、社会を構築する土台とも言えるかもしれないが、兜は好きではなかった。フェアさに欠ける。

フェアさを大事にする兜。いつの世もヒエラルキーというものは存在する。それに立ち向かうこともまた蟷螂の斧なのかもしれない。

最後に

個人的には、「殺し屋」と「家族」という極端なコミュニティを2つ並べることで、いつ愛する人がいなくなるかはわからない、ということをよりインパクトを持たせて伝えているように感じた作品だった。

日常生活は慌ただしく、より大切なことから、眼が逸れがちかもしれない。

それでもそのことをできる限り忘れずに、生きていきたい。