Bok No Bibrok

日々の考察。

マイノリティとベン図

今ロシアワールドカップで世界中が熱狂していますが、その中には

  • 普段からサッカーが好きな人
  • このときに限って盛り上がる人
  • よくわかってないけど空気を読んで周りに合わせている人
  • そういった盛り上がりに水を差す人
  • どれにも関与しない人

などがいるかと思います。

それはそれでいいんだと思います。

しかし、その集団には、自身が望んだ結果として居るのでしょうか?

突然ですが、私が思うに、「世界」は次元の1つに「視点」を含んでいます。

なぜなら、どの人の「視点」から世界を捉えるかによって「世界」の見え方はガラッと変わってしまうからです。

先ほど告白がうまくいった人、先ほど家族が亡くなった人、それぞれが見る晴れ渡った青空は、全く異なる意味合いを持っているはずです。

そう思えば、学校に行きたければ行けばいいし、行きたくなければ行かなくてもいい、そんな世界を自分で作ってしまえばいいんだと思います。

こと「自分」という集合においてであれば、物理的な革命など起こさずとも、自分の捉え方次第でいくらでも革命を起こすことができるのです。

休日にボケーッとしながら自分の「世界」について考えてみることも、有意義な時間の使い方だと、私は思います。