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日々の考察。

詩と小説について

文量や形式、ジャンル、様々な違いはありますが、今回注目したい相違点は「想像の”舞台”をどこに置くか」という部分です。

小説は、基本的な物語が小説自身の中にあり、「作品の中で」想像を膨らませていきます。

対して詩は、短文ということもあり基本的に抽象度の高い表現をする場合が多く、その抽象化されたテーマは「読者の中で」想像を膨らませていきます。

「詩のテーマ」と「読者の経験」をマッチングさせる感じですね。(出会い系文学ってとこでしょうか。怒られそうですね。)

したがって詩は、読者がマッチングできるような経験をしていない場合、ちんぷんかんぷんなものになってしまう可能性があるため、共感しにくくなってしまいます。

現代において、詩が小説に比べあまり広まっていないように感じられるのは、グローバル化に伴なう多様化したライフスタイルの定着により、上で述べた「マッチング(共感)」のハードルが高くなってしまったからなのかもしれません。

例えば昔であれば、相手に想いを伝えるときはラブレターを採用することがほとんどだったかもしれませんが、今では電話やメール、 LINEやTwitterなどのSNS、そもそもちゃんとした告白もなくヌルっとお付き合いが始まる等、行動や状況のパターン数が膨大になっているように感じます。(ヌルっと始まるお付き合いってなんなんですかね。いいですね!)

そのため、詩の抽象化した部分が何を指しているのか自分の中に落とし込めず、共感しづらくなりがちなのかもしれませんね。

とはいえうまく落とし込むことさえできれば、その高い抽象度により各人の中でピッタリとハマるよう物語は姿を変え、ある意味「オーダーメイドの作品」になることができます。

宮沢賢治をはじめとして、少し前の時代にはたくさんの良い作品があったわけなので、この時代に適したちょっとした進化があれば、また色々な詩の作品を目にすることも増えるのかもしれませんね。