Bok No Bibrok

日々の考察。

ラベリングとその副作用

学校のテストの結果がよくなかったとき、「ああ、自分は賢くないんだな…」と思ってしまうこともありましたよね。

でも、このテストというのは大概「受ける側」のためではなく、それを「管理する側」のためにあるものです。

成績でクラスを分け授業内容を調整しコストを減らす、優秀な人材をより優秀にして国力を増大させる、優秀な社員を採用しさらに利益をあげる、etc...

気づきにくいですが、自分の点数や向き不向きを知ることは自分のためではない要素を多分に含んでいます。

例えば「数学が90点、国語が40点」という数値化は、「自分は"理系"である」という一種のラベリングとも言えます。

自分の得意不得意を知るというのは、使い方によっては有用なラベリングではありますが、やっかいな副作用を抱えている危険性があります。

ある有名な話で以下のようなものがあります。

バケツの中に入れられたバッタは、もともとそのバケツ以上の高さまで飛ぶことができるのだが、バケツの蓋を閉め、一定期間経つと、バケツの高さよりも高く飛ぶことができなくなってしまう。

これは、「この高さ以上飛んでも天井にぶつかってしまうから全力で飛ぶことに意味を持てず、その結果全力で飛ばないことが習慣になってしまっている」と考えることができます。

いっときの数値化やラベリングが、まさにこの「バケツの蓋」と同じ現象を引き起こしている可能性は非常に高いと思います。

なので時折、自分の頭の上にバケツの蓋が被さっていないか、確認してみてもいいのかもしれませんね。